我喜屋位瑳務 イラストレーター|インタビュー
「狂気と滑稽」をテーマに描く
1992年から16年続いた公募展『ひとつぼ展』をリニューアルして、昨年新しくスタートした「1_WALL」。その初代グラフィック部門のグランプリに輝いたのが、沖縄県出身の我喜屋位瑳務(がきやいさむ)さんです。「1_WALL」展では、狂気とユーモアが混在したイラストレーションをいろんな素材の上に描き、それらを壁面に隙間なく展示しました。審査員からは「プロとしてがんがんやっていける力を持っている」「インスタレーションとしてまとまりがあり、人が見ることをいい意味で意識している」とセンスのよさとクオリティの高さを絶賛されました。
個展のための作品制作に没頭する我喜屋さんに、作品制作の原点から、今のスタイルにいたるまでを伺いました。話すことが苦手という我喜屋さんですが、ゆっくりと丁寧に語ってくれました。
作品ついて
描くテーマは「狂気と滑稽」です。常にそれを意識して描いています。仕事の時でも、依頼に応じながらどこかではそれを入れようとしている。でも仕事の時と自分の作品を描く時とは発想の仕方が違います。自由に描く時は何も考えないで描く。とりあえず手を動かしています。僕の絵によく出てくる鼻が逆になっているキャラクターも、描いている中でたまたま生まれました。ただ、気に入っても同じものをずっと描くことはしません。同じものを描いていると深みにはまってしまって、他のパターンが描けなくなりそうで怖いんです。個展ではこの2~3年間描いてきた様々な絵を、ギャラリーの壁面いっぱいに展示します。
制作の原点
小さい頃はガンダムとかロボットアニメをよく見ていたせいか、ロボットばかり描いていました。中学生の時は模写にはまっていた。その頃ホラー映画が流行っていて、ゾンビとか描いてました。「悪魔のいけにえ」とか「死霊のはらわた」とか、テレビの再放送でよく見ていたんです。アクションだと「マッドマックス」とか。特にB級ホラー映画といわれるものが好きでした。それが今の制作の原点になっています。生まれ育ったのが沖縄というのもいくらか作品に影響しているかもしれません。米軍が近くにあったり、スーパーにアメリカの商品が置いてあったりとか、普通の生活の中で見てきたものが自然と作品に表れているのかもしれない。高校卒業後は美大に行きたかったんですが、とにかく勉強ができなかったし断念しました・・・・・・。
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寺田克也さんの絵との出会い
高校卒業後は美容師を目指して、1年くらい専門学校に通いながら美容室で働きました。おしゃれで華やかな雰囲気に憧れていたんですが、お客様とのコミュニケーションが苦手であきらめました。でも、食べるためにその後コンビニで働き始めました。そこでイラストレーターの寺田克也さんの漫画を見て、衝撃を受けたんです。僕も絵で食っていきたいって思った。それからはアルバイトをしながらひたすら自己流で描いていました。寺田さんはデジタルでリアルに描いている人で、僕もそうなりたかった。
東京にきたのは25歳の時です。沖縄にいても絵を見せに行くところもないし、とりあえず東京に行ってみようと。大手の出版社に見せに行ったり、ゲーム雑誌やSF雑誌の編集者にも見てもらいましたが、全滅でした・・・・・・。これではダメだと思って、いろんな人の絵を見るようになって、どんどんサブカルチャーよりになっていきました。でもその頃はまだ今の絵のタッチとは全く違います。寺田さんの真似をしてデジタルで描いてましたから。
自分の世界
絵が大きく変わったきっかけは、イラストレーターの湯村輝彦さんに見てもらったことです。バイト先に湯村さんがよく来ていて、一緒に働いていた友達が、絵を見てくれませんかって声を掛けて。それで見せに行ったら、デジタルだと温かみがないからコラージュをやったらって言われたんです。今のスタイルになったのはそれからです。31か32歳の時でした。この頃からいろんな紙に絵を描くようにもなりました。外国の領収書やお菓子のパッケージとか前から好きで収集していました。バイト先でゴミの中から拾ったり・・・・・・。輸入品だと段ボールとかもかっこいいのがあるんですよね。
絵のスタイルを変えてから雑誌『MUSIC MAGAZINE』ですぐに仕事が決まったんです。80年代後半に活躍したバンドの特集頁で、彼らをイメージさせるアイコン的なものを描きました。それを見た集英社の方から装画の仕事をもらったりして、少しずつ仕事が入ってきました。それでもまだ自分の世界が確立できなくて、バラバラ感がありました。
一昨年くらいにバイトも辞めて自分を追いつめました。もう絵を描いていくしかないっていう覚悟を持った。その時に鼻が逆になっているキャラクターとかも生まれて、やっと自分の世界が持てた気がしました。ちょうど35歳で、「1_WALL」もあとがないときでした。
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この先
仕事の分野はそんなに固定したくはありません。70年代のサブカル誌みたいな、強い個性が目立っていた頃が好き。自分でそういう雑誌を作れたらいいですね。その当時湯村さんも今の時代じゃ発表できないような内容の絵を描いている。遊び心がありますよね。つげ義春さんの世界とかも好き。そういう世界がどんどんなくなってしまうのは、よくないなって思うんです。僕はひねくれてるんだと思います。音楽とかも昔からひねくれていて、売れているのは好きじゃなかったし・・・・・・。
常識や規則を壊したいっていう気持ちもあるのかもしれない。例えば人ってこう描くものだっていう既成概念に囚われずに、思うままに描いていきたい。音楽でもファッションでも広告の仕事でも、へんなものをこつこつと植え込んで行けたらいいですね。
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1974年生まれ。
[個展]
2009年 cafe manduka(東京)
[グループ展・企画展]
2009年 Free paper dictionary produce CLUB DICTIONARY DELUXE「ART PICNIC vol.1」 スペースオー(東京)/「CREATION project 2009 手ぬぐいTOKYO」 ガーディアン・ガーデン(東京)/「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2 」 東京交通会館(東京)/「ZINE'S MATE at THE NY ART BOOK FAIR」 P.S.1コンテンポラリー・アート・センター(ニューヨーク)/SUMMER SONIC 09 ライブペイント「SONICART」 幕張メッセ(千葉)/第1回グラフィック「1_WALL」展 ガーディアン・ガーデン(東京)/「ZINE'S MATE/THE TOKYO ART BOOK FAIR」 EYE OF GYRE、VACANT(東京/「FUNKY802 digmeout EXHIBITION 2009」(大阪、東京)
2008年 「Shin Tokyo」 COMPOUND GALLERY(オレゴン州ポートランド)
[受賞]
2009年 第1回グラフィック「1_WALL」 グランプリ
2007年 『イラストノート』NO.3(誠文堂新光社)第2回ノート展 伊藤桂司賞
[パブリシティ]
2009年 『アイデア』NO.338(誠文堂新光社)ポスト・ポップ・グラフィックス掲載/『ブレーン』10月号(宣伝会議) NEW CREATOR掲載
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